八重垣神社祇園祭

 
   

御祭神
素盞喝尊 スサノオノミコト
事代主命 コトシロヌシノミコト(恵比寿様) 
倉稲魂 ウカノミタマノミコト(生産ノ神)

創建
弘仁三年(八一二)、第五十二代嵯峨天皇の御宇、物部朝臣匝瑳連足継公が鎮守府将軍として本州を鎮めし時、この地を廻り、「美し国」と称え、その祖小事大連の眞蹟に係る八雲の神詠を奉祀するため、荒涼たる水沢と葦原であった現在地に大塚を築き宮を建て、国造の出雲神を奉祝して祈願所となし、「牛頭天王宮」と称したと伝わる。

八重垣神社祇園祭の起源

八重垣神社祇園祭の起源は古く300年以上の歴史を持ちます。
八重垣神社は、神仏分離政策(明治2年)以前は、牛頭天王を祀った天王宮として見徳寺が別当として管理していました。見徳寺に残されているいくつかの文献から「享保三年(1530年)六月二十日大祭始まる、この時神輿新造、同六月十五日」や慶長十一年(1604)六月、天王神輿造立、別当見徳寺 吽栄上人」また、「寛文十年(1670)、町中惣氏子により神輿造立」という記録が残っています。
現在の祇園祭に近い形になったのは「祇園会は元禄十年(1697)のころなり、別当見徳寺はじめ、毎年天王宮免田米をもって祭礼す」と言われており、その後の記録から「正徳三年(1713)六月十九日、門前へ初めて神輿を本振りなり」とあり、神輿が見徳寺門前に入るようになり、さらに宝暦十一年(1761)の「牛頭天王宮年中行事」に神輿の町内渡御という現在の形になりつつあります。

八重垣神社祇園祭
7月1日早朝、年番役人が十町四隅に大祭執行の立札を立てるところか始まります。
ついで7月25日午前8時、宮司・年番役人によって十町四隅に辻切幣を祀って四方を祓え清め、悪疫悪霊の侵入を断つ神事を行います。これを八七五祭(はっちょうじめ)と呼びます。
次いで、夕方より駒真似祭の神事が執行されます。
駒真似祭は、子供の虫封と無病息災・五穀豊穣・商売繁盛を祈願する神事です。
駒真似祭が執行されると、8月の大祭を迎えるのです。
氏子10カ町から20数基の神輿が笛・大太鼓・大鼓・小鼓・鉦(チャンチキ)などのお囃子に合わせ市街地を渡御する連合渡御は最大の見せ場になります。
また水掛祭りとしても有名な祭りです。
毎年十町の中から交替で務める年番制とっており、その年の祇園祭を取り仕切ります。
萬町の年番は、平成二十四年になります。


8月3日

早朝、萬町の東西に幟を立てかけます。
夕方より山車で萬町内を巡行し、町内の皆さんにお囃子を披露します。
山車の上でしか演奏しない曲も多数あり、下座囃子とは雰囲気の違った曲を披露します。

8月4日

早朝午前6時神事の後、神社神輿の宮出しを行います。
猿田彦大神を先頭に神社神輿を担いで年番町の御旅所まで渡御します。
(写真:平成24年度年番町 萬町)
日中は大神輿と子供神輿の2基で町内渡御を行います。
※各町によって異なります。
年番町は町内渡御と並行する形で十町を山車で巡行し、お囃子を演奏します

女神輿

夜は女神輿渡御が行なわれ女性だけで市街を練り歩きます。 年々、女性達の勢いが増して最後まで女性だけで担ぐ事も珍しくありません。またここの女神輿渡御は歴史があり、全国的にみても早いうちから行なっています。

8月5日

小学校を出発し、年番町を先頭に20数基の神輿が1キロ近く列を連ねて市街地を威勢よく練り歩き、八重垣神社へお宮入りします。
また沿道の観衆から担ぎ手に清めの水が浴びせられ、担ぎ手と観衆とが一体になって盛り上がります。近年は大型トラックの荷台に水槽を用意し、大量の水が担ぎ人めがけ掛けられるさまは水掛祭りの醍醐味となっています。

八重垣神社年中行事
 
1月  1日  歳旦祭
 1月 20日  御奉射祭 
 2月  3日  節分祭
 7月  1日  浅間神社山開き、祇園祭執行の告知板設置
 7月 25日  八七五祭 ハッチョウジメ
 7月 25日  駒真似祭
 8月4、5日  例大祭 (祇園祭)
 8月  吉日  年番引継式
10月 29日  甘酒神事
12月 28日  御焚上祭
 毎月  1日  月次祭

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